会社紹介

タツミ印刷株式会社は、商業印刷、ウェブ、出版事業を手がける企業です。もともとは、大阪市福島区の海老江で「タツミ文具」という文房具店でした。店名の由来は創業者のひいおばあちゃんが辰年、ひいおじいちゃんが巳年だったことから「タツミ」と名付けられたそうです。
印刷業としての始まりは、1963年に中堂社長の叔父が印刷事業部を立ち上げたことがきっかけです。当時、北摂地域に印刷会社が少なかったことから池田市に移転。近くにある大手印刷会社の下請けをする同行者が多い中、創業当初から「同業の下請けはしない」というポリシーを貫き、お客様から直接仕事を受ける姿勢を大切にしてきました。
現在はグループ全体で正社員12名、パート4名の体制で、2階が営業・デザインの部門、1階に子会社の印刷工場を構えています。会社の敷地内でバーベキューを開催するなど、家族も含めたアットホームな雰囲気づくりを大切にしています。
会社の強み・課題に感じていること


タツミ印刷の強みは、デザインから印刷、加工まで一貫して対応できる体制を整えていることです。特に「対応の早さ」はお客様から高く評価されています。直接お客様と関わるビジネスモデルを貫いてきたからこそ、デザイン力を磨き、お客様のニーズに迅速に応えるノウハウを培ってきました。
また、特筆すべき特徴として、1社依存率が非常に低いことが挙げられます。特定の取引先に売上の30%以上を依存することを避け、リスク分散を図っています。大手企業に依存せず、多くの中小企業と良好な関係を築くことで、安定した経営基盤を実現することがタツミ印刷の強みです。
一方で、業界全体の縮小に伴い、特に人材面での課題を感じています。同業他社の印刷工場が縮小しているので採用してもらえないかという話はありますが、50代以上の従業員が多く、若い世代の採用や定着が難しいという現実に直面しています。
特に力を入れていること

印刷業界全体が年5%ずつ縮小しているという厳しい現実の中、タツミ印刷は印刷に付随する事業の拡大に力を入れています。テレコール、コンサルティング、営業代行、DM送付、出版事業など、印刷を軸としながらも周辺事業へと活動領域を広げています。
コンサルティング事業では、株式会社桂経営ソリューションズやJMSOとの連携により、製造業向けの勉強会や資産育成セミナーを開催。中小企業が事業ポートフォリオを増やすためにサポートする活動を始めました。お客様が新規事業を始める際に必要となる営業企画から販促戦略、そして制作までをセットで請け負い、必要な方には営業同行をすることで、付加価値の高いサービスを提供しています。
将来のビジョン、経営理念


「お客様のよきパートナーを目指して」を創業の精神として、「あっ、それええやん」製造会社を経営理念に掲げるタツミ印刷。将来的には「お客様支援という軸でコト+モノを届ける会社になる」というビジョンを持ち、目指すのは「広告代理店のように中小企業の経営をトータルでサポートできる企業」です。
「あっ、それええやん」と製造会社のお客様に言ってもらえるような提案を心がけ、クライアントのビジネスを本質的に支援する姿勢を大切にしています。
社長の紹介

中堂社長は、もともと会社を継ぐ予定はなく、精密機械メーカーで設計技術者として勤務していました。しかし状況が変わり、29歳の時に現在の会社に戻り、タツミ印刷の経営に携わるようになったそうです。その後は、コンサルティングも手がけるようになり、印刷業の枠を超えた事業展開を推進しています。
中堂社長がやりがいを感じるのは、提供したチラシやDMを通じてお客様の売上が向上したという喜びの声を聞くときです。「お客様の売上が伸びてなんぼ」という考えのもと、効果的な提案を続けています。
座右の銘は「死ぬこと以外かすり傷」。どんな困難な状況でもチャンスはどこにでもあると信じ、心の持ち方次第で状況は変わると考えています。この前向きな姿勢が、縮小する印刷業界においても新たな道を切り開くタツミ印刷の原動力です。
休日の過ごし方
サラリーマン時代は、スキーや車などさまざまな趣味を楽しんでいた中堂社長ですが、経営者になってからは時間的な制約もあり、主に家族との時間や青年会議所(JC)の活動に時間を割いてきました。特にJCでは10年以上にわたり、わんぱく相撲などの社会貢献事業に積極的に関わってきたと言います。会社経営の傍ら地域社会への貢献を続ける姿勢は、従業員にも良い影響を与え、タツミ印刷の企業文化の一部となっているのかもしれません。
製造業あるある
「印刷物を見るとすぐに素材やデザインが気になってしまう」という印刷業ならではのあるあるを語る中堂社長。また、印刷業の人は「見ればわかる」という驚くべき特技があり、その独特な雰囲気から印刷業の人を一目会っただけで見抜いてしまうそうです。